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五輪とも重なるし、今年は苦戦するかもしれませんね。
せっかくの記念大会ですが・・・
毎年、これくらいの出場枠で構わないと思いますが・・・

 8月2日から始まる第90回全国高校野球選手権の代表55校が出そろったが、東西2人の“怪物”1年生が、甲子園の土を踏むことなく夏を終えた。PL学園(南大阪)の「1人KK」、勧野甲輝(かんの・こうき)外野手(181センチ、85キロ)と、早実(西東京)の小野田俊介投手(180センチ、72キロ)。出場すれば、大会屈指の好カードは間違いなく、北京五輪と同じ時期に開催される今回の甲子園だけに、ファン確保の意味からも敗退を惜しむ声が多く上がった。

 全国で最後に代表校決定となった南大阪大会決勝。近大付が延長12回の死闘の末、PL学園に8−7でサヨナラ勝ちし、15年ぶりの甲子園出場を決めた。

 南大阪大会で最も注目を浴びたのが勧野だった。父親の雅央さんが「甲子園で輝くように」と、同じく高校球児ながら甲子園出場を果たせなかった夢を託し名付けた。2歳からおもちゃのバットを持ってスイングし、4歳からは富田林リトルで本格的に野球を始めた。富田林二中時代は富田林シニアに所属、2年秋に関西大会を制し、世界選抜メンバーにも選ばれた。

 ハイレベルな選手が集まる強豪・PLにあっても、勧野は頭ひとつ抜けた存在。1年生ではベンチに入ることさえ困難ななか、勧野は1983年の清原和博内野手(オリックス)以来となる1年生で4番に座ると、清原に並ぶ府大会2本塁打をマークするなどチーム最多の14打点をあげた。決勝は先発マウンドも任され、3回には左翼スタンドに本塁打もたたき込んだ。ベースを回る際は、昨年75歳で亡くなった祖父の敦美さんの遺影が入った胸のお守りを握りしめて必勝を誓ったが、甲子園は届かなかった。

 勧野は「(清原に)並んだことはうれしいが、技術的にも、精神的にも鍛え直さなくてはいけない面が多い。負けたことをいい経験にして、次の大会を目指したい」と淡々と話した。

 それを横目に、民放局の高校野球取材スタッフが悔やむ。「正直にいえば、甲子園でプレーする勧野を見たかった。ダイヤモンドを回る姿は貫禄さえあった。特に今年は開催時期が重なる北京五輪に注目が集まりそう。勧野なら、高校野球ファンをつなぎとめておいてくれたはずなのに…」

 西東京大会決勝では、早実1年生、小野田も5−13で日大鶴ケ丘に敗れた。「勧野と小野田が出場していれば、今大会はもちろん、以後センバツ2回、夏2回の大会前から話題にすることができた」と話すのは別の放送局幹部と悔しがる。2人が消えた夏。史上最多の出場校を迎える甲子園で、新たな怪物は出現するのだろうか。

 「先輩たちに申し訳ない」。西東京大会決勝では、名門の早稲田実で1年生ながら4番でエースを任された小野田俊介が涙をのんだ。

 背番号1で2年生の中野が右肩痛で、夏の大会直前になって和泉実監督から「先発で使う」と告げられた。初戦に4連続を含む7奪三振の快投を披露し、早大・斎藤佑樹の“2世”と騒がれた。だが、その斎藤ですら1年生では試合で登板していない。

 あどけない顔つきとは裏腹に、140キロの直球でグイグイと攻め、鋭く落ちるスライダーで空振りを誘う本格派。日大鶴ケ丘の萩生田博美監督は「フィールディングに難があるデータがあった」と明かしたが、裏を返せば、1年生にして相手に作戦を立てさせるほどの大物ともいえる。

 北海道旭川市出身。野球は小学校2年生のとき、地元小学校の軟式野球部で始めた。父親の会社員、浩司さん(46)の「自分で始めたことは最後までしっかりとやりなさい」との言葉を胸に黙々と練習した。中学時代は旭川北陵シニアに所属し、3年生のときにはシニア日本代表として世界大会(CABA)に出場。斎藤にあこがれて推薦入学で早実入りした。

 最後の打者となってゲームセット。「ここまでやれたのも先輩のおかげです。秋は絶対に勝ちたい」。視線はすでに春へと向けられていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080728-00000009-ykf-spo




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